この考察では、旧日本海軍が戦った幾多の戦いを考察していきます><

日本海軍が真珠湾軍港を空襲し、米太平洋艦隊を壊滅させた戦い。

第一航空艦隊 - 司令長官:南雲忠一中将、参謀長:草鹿龍之介少将
第一航空戦隊 - 南雲長官直率、空母「赤城」「加賀」
第二航空戦隊 - 司令官:山口多聞少将、空母「蒼龍」「飛龍」
第五航空戦隊 - 司令官:原忠一少将、空母「瑞鶴」「翔鶴」
艦載航空機350機(零式艦上戦闘機78機、九九式艦上爆撃機129機、九七式艦上攻撃機143機)
第三戦隊 - 司令官:三川軍一中将、戦艦「比叡」「霧島」
第八戦隊 - 重巡洋艦「利根」「筑摩」
第一水雷戦隊 - 司令官:大森仙太郎少将、軽巡洋艦阿武隈
第一七駆逐隊 - 駆逐艦「谷風」「浦風」「浜風」「磯風」
第一八駆逐隊 - 駆逐艦「陽炎」「不知火」「秋雲」「霞」「霰」
第二潜水隊 - 司令:今和泉喜次郎大佐、潜水艦「伊19」「伊21」「伊23」
第一補給隊 - 司令:大藤正直大佐、油槽船「極東丸」「健洋丸」「国洋丸」「神国丸」
第二補給隊 - 油槽船「東邦丸」「東栄丸」「日本丸
特殊潜航艇5隻(甲標的5隻)他

    • 米国海軍

太平洋艦隊 - 司令長官:ハズバンド・キンメル大将
戦艦8隻(「カリフォルニア」「メリーランド」「テネシー」「アリゾナ」「オクラホマ」「ウエスバージニア」「ペンシルベニア」「ネバダ」)
重巡2隻(「ニューオーリンズ」「サンフランシスコ」)
軽巡6隻(「デトロイト」「ホノルル」「セントルイス」「ヘレナ」「ローリー」「フェニックス」)
駆逐艦30隻
その他48隻
カタリナ哨戒機14機
基地航空機399機

  • 戦闘経過

南雲忠一中将指揮下の旗艦「赤城」および「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」を基幹とする日本海軍空母機動部隊、11月22日に択捉島の単冠湾に集結、11月26日ハワイへ向けて出港。

12月2日、大本営より機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電文が発信。「日本時間12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意味。

7時10分(日本時間午前2時40分)に、アメリカ海軍の駆逐艦DD-139「ワード(ウォード)」がアメリカ領海内において国籍不明の潜水艦を発見し、砲撃によりこれを撃沈した。撃沈したのは日本海軍の特殊潜航艇である。

7時49分(同3時19分)、第一波空中攻撃隊は真珠湾上空に到達し、攻撃隊総指揮官の淵田美津雄海軍中佐が各機に対して「全軍突撃」(ト・ト・ト・・・のト連送)を下命した。7時53分(同3時23分)、淵田は旗艦赤城に対して「トラ・トラ・トラ」を打電した。「ワレ奇襲ニ成功セリ」を意味する。7時55分(同3時25分)翔鶴飛行隊長の高橋赫一海軍少佐が指揮する急降下爆撃隊がフォード島への爆撃を開始した。

7時58分(同3時28分)、アメリカ海軍の航空隊が「真珠湾は攻撃された。これは演習ではない」と警報を発した。戦艦「アリゾナ」では7時55分頃に空襲警報が発令された。8時過ぎ、加賀飛行隊の九七式艦上攻撃機が投下した800キロ爆弾が四番砲塔側面に命中。次いで8時6分、一番砲塔と二番砲塔間の右舷に爆弾が命中した。8時10分、アリゾナの前部火薬庫は大爆発を起こし、艦は1,177名の将兵と共に大破沈没した。戦艦「オクラホマ」にも攻撃が集中した。オクラホマは転覆沈没し将兵415名が死亡または行方不明となった。

ハワイ時間午前8時54分(日本時間4時24分)、第二波空中攻撃隊が「全軍突撃」を下命した。第二波攻撃隊は小型艦艇や港湾設備、航空基地、既に座礁していた戦艦「ネバダ」への攻撃を行った。

5隻の特殊潜航艇による攻撃は、4隻が撃沈され、1隻が座礁・拿捕されたため成功しなかった。日本では、撃沈された4隻の乗組員8名と、拿捕された艇で戦死した1名を加えた9名が「九軍神」として宣伝された。拿捕された艇の艇長で捕虜となった酒巻和男海軍少尉は「軍神」から外され、捕虜となったことは公表されなかった。

日本時間午前8時30分頃、空中攻撃隊は順次母艦へ帰投した。午前9時頃、日本海軍空母機動部隊は北北西に変針し日本への帰路についた。このとき港湾施設を徹底的に破壊するために第三次攻撃を行う可能性もあったが、三川軍一中将のみが意見具申を行い、山口多聞少将は催促に留まった[6]。

12月16日、第二航空戦隊司令山口多聞少将の指揮下、「飛龍」「蒼龍」と護衛の「利根」「筑摩」及び駆逐艦「谷風」「浦風」がウェーク島攻略支援に向かった。12月23日、機動部隊は瀬戸内海に位置する柱島泊地に帰還し、作戦は終了した。

空襲部隊:未帰還機29機、損傷74機、戦死55
特別攻撃隊甲標的 未帰還5隻、戦死9、捕虜1

    • 米国海軍

・戦艦
ネバダ:被雷1、被弾5、至近弾2。擱座。1942年4月22日サルベージ作業終了。1942年12月修理改造終了。
オクラホマ:被雷5。転覆、沈没。1943年浮揚、1944年除籍。1947年サンフランシスコへ移送中沈没。
ペンシルベニア:ドック内で被弾1。修理の際にオクラホマアリゾナから取り外した主砲を搭載し、1942年3月艦隊に復帰。
アリゾナ:被雷1、被弾8。800kg爆弾の命中による弾薬庫(火薬庫)の爆発で艦体切断・沈没。サルベージ中止。引き上げ可能な装備を引き上げの後、除籍。その後1962年以来記念艦として在籍し現在に至る。
テネシー:被弾2(不発弾1)。損害は軽微だったが、修理と同時に大改装を施して艦隊復帰。
カリフォルニア:被雷2、被弾1、至近弾1。着底。1942年3月浮揚、1944年5月修理・大改装終了。
メリーランド:被弾2。1941年12月21日、応急修理終了。本格修理の後1942年2月艦隊に復帰。
エスバージニア:被雷7、被弾2(不発弾)。着底。1942年5月サルベージ作業終了。修理・大改装を実施し1944年7月に艦隊復帰。

駆逐艦
カッシン
ダウンズ

標的艦
ユタ:被雷2。沈没

  • 考察

日本海軍の実施するこの作戦における最大の目標は、米国太平洋艦隊撃滅であった。
これは要するに、米国太平洋艦隊の保有する航空母艦の撃沈である。
だが、上の損害一覧を見ていただきたい。
確かに大量の戦艦を撃沈波することには成功したが、航空母艦は一隻も含まれていない(空母一隻の価値は戦艦十隻に値するという。当時米空母は輸送任務等により真珠湾を離れていた)。
空母を一隻も撃沈できなかったことは後々まで日本海軍に影響を与え、短期決戦のメドが立たなくなってしまったのだ。
もし空母を撃沈していたら、アメリカ本土攻撃も実現し得たのではないだろうか?(空母を撃沈しなかった史実においても、アメリカは日本陸軍迎撃作戦の準備は行っていた)
もし機動部隊が空母を索敵し撃沈していたら…歴史の大きなifである。
また戦術面においても、非常に幼稚なものとなってしまった。
指揮官の淵田中佐は何を思ったか信号弾を二発発射し(一発だと奇襲、二発だと強襲を意味する)、それを見た急降下爆撃隊が、強襲の際の第一目標である飛行場及び対空陣地を攻撃してしまった。爆炎立ち込め、視界は悪化し、雷撃隊の攻撃に支障を来してしまったのだ(それでも雷撃隊は次々と魚雷を命中させたが)。
また、攻撃は艦艇及び飛行場、対空陣地に限ったため、重要な、燃料貯蔵庫やドックに対しては、全く攻撃は行われなかったのだ。

このような指揮のおかげで攻撃は不十分であり、米国の反攻は凄い早さで始まってしまったのである。

次回は「マレー沖海戦」。こうご期待!